易経 山雷頤 意味|養生と口の養い方

易経の山雷頤(頤卦)は単なる食事ではありません。観頤、自求口実、朵頤と由頤、健康・飲食・扶養・誰に食べさせてもらうかの爻を、オンライン占いと照合します。

易経
このページの目次

頤卦を占うと、まず口を思い浮かべやすいです。何を食べるか、減量できるか、この仕事で食べていけるか。口は誤りではありません。頤はもともと口のように、上下が実、中間が虚です。ただし食べることだけ見れば、この卦は狭くなります。

頤は養です。口を養い、身を養い、人を養い、徳を養う。三句問うとよいです。何を食べているか。誰に養われているか。養っているのは口か、人か。三句がはっきりしなければ、朵頤の凶が来やすいです。他人が食べるのを見て、自分の霊亀を捨てる。

頤卦:山雷頤。口が開き、どこへ養うかを見る

頤は山雷頤です。上卦艮、山、止。下卦震、雷、動。下が動き、上が止まり、中間四爻みな陰、空です。卦全体が口に似ます。動くのは下顎、止まるのは上顎。食べること、話すこと、みなここを過ります。

上下を逆にしないことです。火雷噬嗑も口に似ますが、噬嗑は中間に陽があり、噛み、合い、刑獄です。頤は中間が空、養です。雷山小過はなお混ぜません。それは上震下艮、雷が山上にあり、頤は雷が山下にあります。上下が逆なら、口はこの口ではありません。

『序卦』は「物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。」と言います。前は大畜。十分積めて初めて養を談じられます。畜えずに養生、誰が自分を養うかを先に語れば、場面は虚になります。頤は畜の次で、貯めたものを正に養うことです。

卦辞は短いです。「頤,貞吉。観頤,自求口実。」貞して初めて吉。養が正ければ吉。観頤はこの口を見ること。彼が養うものを見、彼が自ら養うものも見る。自求口実は口糧を自分で求め、求め方も自分で点検することです。他人の碗だけ羨まないことです。

『彖伝』は「頤貞吉,養正則吉也。観頤,観其所養也。自求口実,観其自養也。天地養万物,聖人養賢以及万民。頤之時大矣哉。」誰を養うか、どう養うか、自分がどう養われるか、三層があります。頤を得たら、今夜何を食べるかだけでなく、この生活が何に支えられているかも問います。

『象』は「山下有雷,頤。君子以慎言語,節飲食。」口は食べ、話します。言語が不慎、飲食が不節は、同じ口の出事です。健康、口舌、名声は、この卦でよく縛られます。

頤を得たら、仕事と財運はまず「誰に食べさせてもらっているか」を見る

仕事で頤が出れば、全体は養活を問うています。この仕事が自分を養えるか、自分がチームを養えるか、製品が顧客を養えるか。本業を熟し、収入源を明らかにし、体を透支から引き戻すことに向きます。このとき他人の碗を見ることには向きません。他家の資金調達、他人の露出、同業の炫耀。初九がこのために書いてあります。

このとき最も高い授業料は「より大きなものに依る」。六二顛頤、于丘頤、征凶。自分で自分を養うべきなのに高処の一口を求め、出征すれば凶。共同、名義依り、大経営者への投靠で顛頤類の爻が出れば、霊亀を捨てていないか問います。霊亀は自ら養え、人が食べるのを見ません。捨てれば、どんなに大きな丘も長くは養いません。

財運では、頤は口糧であり、宝くじではありません。固定、口に入る、人を養える金が、一度きりの風口より卦気に合います。投資で頤が出れば、この金が家、身、事業を養うのか、顔を養うのかを先に見ます。顔を養う金がいちばん朵頤しやすいです。他人が買うのを見て自分も買う。節飲食を財に使えば出口を節することであり、一生食べないことではありません。

健康、飲食、作息を問うなら、頤は題に合います。各爻が病ではなく、口と養を促します。食べ過ぎ、言い過ぎ、熬り過ぎは、みな口が過ぎることです。六三拂頤貞凶,十年勿用。養い方がすでに経に拂い、なお堅持だと言えば、長く廃れます。この爻ではまず食べ、言い、誰に依るかを改め、その「正」を堅持し続けないことです。

頤卦:感情の頤。誰が誰を養い、養うのは情か口か

感情で頤が出れば、関係に必ず養があります。誰が料理し、誰が出金し、誰が場面を支え、誰が情緒を養うか。美しくも、歪んでもあり得ます。正の養は互いに人を養い切ること、歪んだ養は一人が口糧、もう一人が食べるだけです。

すでに一緒なら、六四顛頤はかえって吉です。同じ顛でも、六二は凶、六四は吉。六四は上が下を養い、位が正しい。余りある者が不足を養い、虎視眈眈,其欲逐逐、専心、無咎。感情では責任を厳しく見ることであり、人を獲物にすることではありません。六二は下が上の一口を求め、位が誤り、だから征凶です。頤を得たら、人を養っているか、人に養われることを求めているかを先に問います。

独身で頤が出れば、まず自養を整えます。自求口実。生活が乱れ、体が空、情緒を他人に埋めさせると、朵頤が来ます。双の人が食べるのを見て、自分の霊亀が霊でなくなる。縁は問えても、自分を正しく養えるかを先に問います。一段の感情を口糧にするのは、この卦は承諾しません。

職場、家庭で頤が出れば、扶養もよく問います。父母、年長者、門下の人。誰が養うべきか、養が正か。彖辞の聖人養賢以及万民は、佞を養うことではありません。資源をよく叫ぶ人に餵るのは頤ではなく慣です。養うべきを置き、丘でより光る一口を探すのは六二です。

頤卦:朵頤は凶、由頤して初めて大川を渉る

五爻で「人が食べるのを見る、自分で養う、人を養う、養が正でない、人に依られる」を一度並べます。

初九,舍爾霊亀,観我朵頤,凶。 霊亀は食わずに寿、自ら養がある。朵頤は頬を膨らませて人が食べるのを見る。霊亀を捨て、私の口辺の一塊を見る。凶。この爻ではほぼ必ず勧めます。目を他人の碗から回収すること。同僚の給与、同級生の結婚、ネット上の盤を長く見れば、自分の正糧は淡くなります。

六三,拂頤,貞凶。 拂は違背。養い方がすでに逆なのに貞として守れば凶。十年勿用,無攸利。この爻ではいわゆる堅持が、悪い養い方の堅持かもしれません。体を透支し、正でない人に依り、正でない口業に依る。正は先に正の養へ戻ることであり、歯を食いしばって続けることではありません。

六四,顛頤,吉。虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。 顛は逆さまに養う、上が下を養う。吉。虎視は厳しく見守り、欲逐逐は養を求める心が専ら。この爻では担ってよいです。家族、部下を養い、資源を行くべき所へ送る。専心し、養い半ばで別の丘を見ない。無咎です。

六五,拂経,居貞吉,不可渉大川。 中に居るが力は弱く、上九に依って養われる。常規に違背する所は、君が賢に依ること。居貞吉。正の位置にいれば吉、大川を渉ってはならない。この爻では守り、聞き、家を正しい人に託せます。自ら軍を率いて河を渡るのはなりません。柔は無能ではなく、この爻は大川を過れないことです。

上九,由頤,厲吉,利渉大川。 由は衆が自分に依って養われる。厲は責任が重く、危うい。吉は養い切れるから。利渉大川。このとき大きなことを過れます。上九では推せません。チーム、家、一群の口がここから出ます。恐れは正常、投げ捨てるのが頤を剥にすることです。

「頤卦を得れば飲食に注意」と言われたら、さらに問うことです。朵頤か、拂頤か、由頤か。何を食べるかは第一層にすぎません。誰に依り、誰を養うかが、この卦の骨です。

頤卦で碗を並べる

第一の碗、自養。今週実際に何を食べ、何を眠り、何で入帳しているか。偽の養生文は算に入りません。

第二の碗、所養。金、時間、口を誰に餵っているか。父母、子ども、上司、カメラ、返信しない人、書き出します。

第三の碗、大川を渉るか否か。六五はできず、上九はできる。自分で見積もり、爻も見ます。見積もり誤れば勇気ではなく拂経です。

象辞が言語と飲食を一緒に置くのは文学ではありません。口が速ければ、養は歪みます。頤を得て終日人の碗を評すること自体が朵頤です。

畜え終えて初めて養う、前卦は 易経 山天大畜 意味|徳を積み力を蓄える使い方。養わなければ動けず、次卦は大過です。易経 沢風大過 意味|棟が橈む過重の支え方。養を載せ切るには坤も使えます。易経 坤為地 意味|厚徳載物、先迷後得の使い方。坤は承載、頤は餵養、一方は地、一方は口です。

易経 頤卦のよくある質問

頤卦は健康、減量専用ですか。

健康を問うのは題に合いますが、専用符ではありません。仕事、扶養、誰に食べさせてもらうか、口舌、みな頤を得やすいです。減量卦だけにすれば、「観其所養」を漏らします。体重に問題がなく、依る口糧に問題があれば、この卦は同じく当たります。

朵頤は他人を見ず、学べないことですか。

学べないのではありません。霊亀を捨て、人の口辺の一塊だけ見てはならない、ということです。方法を学ぶのは畜徳です。羨んで自分が食事しないのが朵頤です。境界は、見てからなお自求口実できるかです。

父母扶養を問うて頤が出ました。辞職して帰宅すべきですか。

限りません。いまの養が正かを見ます。六四のように資源を行くべき所へ送るのは、人が家に釘付けになるとは限りません。六二のように自分の正業を捨てて丘で光を探すのは、帰宅しても不吉です。扶養は口実を届けることであり、親戚への演技ではありません。

六二も顛頤なのになぜ凶、六四は吉ですか。

どちらも顛、位が違います。六二は下にあり、上に養を求め、自養に違背し、征凶。六四は上にあり、下の人を養い、位が正しく、だから吉。占いでいちばん恐れるのは一語だけ掴むことです。顛頤の二字では足りず、誰が誰へ顛するかを見ます。

オンラインで卦を出すなら無料の恋愛占い。二人の誕生日で本卦の見方を照合できます。

全 6 件

二人の誕生日を入れて、すぐに卦を出します。